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秋葉原の連続殺人事件に対する考え



日曜日に起きた秋葉原の連続殺人事件を知らない人はもうこのページを見ている方はいないと思う。
犠牲者の方は週末にわざわざ遠くからアキバに来て殺されて誠に無念のきわみだが、秋葉原が生活圏内の俺はもっと危機感を持つべきなのに、その肝心の危機感がないらしい。
多分ここ最近レポートの課題で忙しいから、なのかも知れないが、どうも私にはこの手の犯罪は起こるべくして起こったという感じはする。よって少し精神的な面になってしまうかも知れないが、今回の問題を考えてみたい。






人は誰しも、「自分は他者から承認されたい」という欲求を持っている。(自己尊厳欲求)逆に言うと、自分があらゆる他人から「お前はクズだ」「お前は役立たずだ」と言われると生きていけない。
実際にうつ病で自殺してしまう人は、このように「自分は役に立たない人間だ」と思い込んで亡くなるそうである。

はて、そうすると今回の事件も同じだったことが思い浮かばれる。犯人はインターネットの掲示板に自分が価値がない人間だとか書いていた。


加藤容疑者とみられる「主」が、友達がなく、良い仕事につけない「不細工な自分」を「無価値。ゴミの方がマシ」などと書き込んだ。


こちらの記事より引用 (毎日新聞)


本心から自分が無価値だと思っていれば自殺することが多い中で、なぜ彼は他の人を殺そうという暴挙に出たのか。それは「自分(加藤容疑者)が無価値であると思いたくない」からだ。

思いたくはないけれど、しかし現実彼を取り囲んでいる状況は彼が無価値であるということを証明する事実ばかりである。(っと彼は思い込んでいる)
よって、こういった人々が自分の存在を証明するにはこういう手段しかない、ということだ。このことが人を殺すという攻撃に転化したと考えられる。こういう理由である限り、殺す対象は「誰でも良い」のである。


さて、切羽詰っている人はどうしても一元的に物事を考えてしまいがちである。
「友達がいない」→どうして友達がいないといけないの?
「不細工な自分」→不細工であることが何故いけないのか?
無価値→何故価値がなければならないのか?
ゴミのほうがマシ→ゴミはなぜ「無価値」なのか?

こういう話題にどうしても頭が向かなくなってしまう。しかし、こういうことを問い詰めていくと、意外にもその根拠が薄弱だったりするんだよな。ってぇことは、その人が単に思い込んでいるだけだっていうことだ。こういうのを現代哲学では「観念の問題」という。


友達がいないけど生きている人もいるし、不細工であっても世の中でやっていけてる人はいるし、人の顔だけみて価値があるかないかなんて判断不能だし、ゴミにも価値を感じて収拾している人だっているわけだ。

しかし、問題は俺がどう思うかじゃなくて、加藤容疑者がどう思うかと言うことである。俺がいくらこう言ったって本人が納得しなければ意味がない。


であるから、第2第3の加藤容疑者が出る事は避けられないだろう。加藤容疑者ですら、この前の茨城の無差別殺人と似た動機は似ている。ひょっとしたらこの手の事件が増えて、人を殺すという事での自己証明の確保が通例化した場合、犯罪者にとって殺人ということに価値を見出せなくなる時代が来るのかも知れないが、1日考えただけの妄想なので多分嘘っぱちだろう。

この手の犯罪がなくならないと冷厳に考えていても犠牲者とご遺族のの皆様には黙祷をささげるしかない。




◎今回のコードギアスのキャプは久々に拍手が多かったですwww
有難う御座いました!(゚∀゚)
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